2023.10.01

今年も終わりに近づいている。

週末に本能に惑わされることなく美しいものを鑑賞したおかげで、それさえあれば良い!という素晴らしい活力に満ち溢れている。

この活力をもってしても5日間のうちに擦り減るんだろうけど、次の週末は3連休、そして出張で未開(?)の土地へ。

開かれてないわけないけど人の文化がなくて絶望するらしい、寒すぎる季節じゃなくてよかった。

 

週末を総括しても実に文化的で落ち度のないものだったと思う。

やはり理性と感性と共にあるべきで、野生のままに過ごしては消耗するというか、満たされない。

まあその中庸を目指すべきなんだろうけど。

 

そういえばとある動画を見ていて出てきた感想がとてつもなく人生訓染みていて、まだまだ子供と思いつつも確実に老人になっているのを感じた。大人になることができないままに老いて死ぬ。

 

昨日はジム行って身なりを整えて銀座に赴いて気になっていた洋服を見て(購入せず)、日比谷まで歩いて図書館で気になっていた本を検分し(購入しないと判断)、普段行かないスーパーで憂さ晴らしをして、夕方帰宅。ここで金曜に購入したお肉も併せて処理した。その後バベットの晩餐会を読んで気分が高揚してエリザベスを見た。

エリザベスの始まりを見た瞬間、つい10分前までの気分の高揚が急落下するのを感じ、どうしてここまで落ち込むような元気をなくすような映像を選んだのかと自分の審美眼に落胆した。でもエリザベスは美しく、そして私が常日頃憧れる過去の栄光は決して美しいものではないなと再認識した。日常的に戦争があったとか、政争とか、そういうのもそうだし、貴族文化を下支えしているのは貴族ではなく被差別階級だと感じたし。でもエリザベスと侍女の関係は素晴らしく美しく思えたの。

つい最近、昔の女性たちのコミュニティの睦まじさのエピソードをちょろっと耳にしたこともあり。日本でも宮中ではそのようなサロンがあって高校生の時惹かれていた(古典の先生がサロンという言葉を用いたことでさらに)。中宮定子と清少納言然り。

 

そしてバベットの晩餐会の後ろについていた、エーレンガートを読んだ。貴婦人の語りで読み進められるからとにかく上品に想像力が掻き立てられる。主人公が芸術家なために観念論的なことが長いけれど美しい。Netflixで映像化されていたので鑑賞。

建物も庭園も素敵。主な舞台となる城は綺麗な明るい洋館で、給仕の衣装もかわいい。調度品も素敵。でもなんか衣装が安くて切なかった。

エーレンガートは王妃の侍女として使えるんだけど映像の中で2人が寄り添っているシーンが可愛かったな。その城の長官もどこかの伯爵夫人だしエーレンガードは武家の娘だし、貴族の娘が城を支えてて可愛かった。長官は何もしないけど帽子がかわいい。

 

とにかく美しいものを見て心が満たされたよ。すみれの香りがほしい。

 

キャロットラペ、にんじんのナムル、海苔入り卵焼き(天啓があり昨日から卵焼きが成功し続けている)、鶏の照り焼き、鶏のトマト煮込み、ささみのパプリカソテー??、あと何か作った気がしたけど忘れた。料理意欲が湧いたので良かった。それにしてもキッチンが使いづらく。

調理器具の刷新を考えているけれど、美しさと使いやすさは共存しないし悩ましいもの。

 

買うもの

ベッドシーツ

ボウル

フォーク(できればカトラリーセット)

キッチンタオル

ソースパン

キッチンバサミ

 

 

なんか先月節制を心がけたけどあんまりだったようだ。毎月その総括をしている。向いていない。

 

9月は22日日記を書けたようだね。毎日にように書いていたつもりだったけど2/3か。毎日なんてとても無理だ。

しかし過去振り返るには面白い月になったのでは。

スマホから書くとなんとなく詳細に書くのが面倒に思われて短く書いてしまうし、抽象化もしてしまう。

 

キーボードを使うとなぜかつらつらと具体的事象を書いちゃう。この違いは何?

キーボード毎日使えれば良いけど心理的障壁が高いと、日記の継続も難しくなっちゃうし。

 

 

 

そういえば夜に得た文学的感銘のおかげで昼間の苛立ちについて記載がないな。もう10月は出てこないかもしれない。このまま途切れるのだろうか。なんとなくそれが良い気がする。だって何が良かったのか?何も思い出せない。全てはエストロゲンが撹乱していた、暑さに見た幻視だった。果たして?

 

しかし振り子のない人生は面白いのだろうか?